バーミヤンの谷


バーミヤンはアフガニスタンのみでなく、世界最大の仏教遺跡である。長さ約ニキロに 
 わたる大岩壁の東西に立つ大仏や、るいるいたる窟院は、仏教美術の源流を物語っ
 ている。
 この大石窟の西端にある大仏は高さ五十五メートル、東側の大仏は高さ三十七メート
 ルある。この二つの大仏は全体の感じは似ているが、衣文の襞(ひだ)のつくり方(大仏
 は紐状、小大仏は波状)や龕のつくり方(大仏の方が整った三葉形龕)、内部の壁画など
 から、おそらく小さい大仏の方がやや早く紀元四〇〇年頃の作で、その完成後まもなく
 より大きな大仏の造営がはじまった。つまり、この二つの大仏は相前後してつくられたと
 考えられている。


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1  小さい大仏の頭部。大仏の尊顔は大小の大仏とも削られている。 小仏の天井には供養者像やミトラ像が
 描かれ、年代決定の基準となっている。
2  高さ五十五メートルの大仏は雄潭無比である。小さい大仏よりさらにグプタ美術の影響を受け、天井にはア
 ジャンター風の菩薩、楽人、飛天像が描かれている。
3  バーミヤンの峡谷を挾んて対岸のハーミヤン・ホテルから眺めた大石窟西部の景観。
 バーミヤンには大石窟寺院のほか、カクラク、フォラディの石窟寺院があり、やや後期 
 の壁画を残している。また、バーミヤンの入り口には赤い城とよばれる砦があり、天然
 の要塞を形成している。
 大石窟の前面にシャリゴルゴラの丘がある。
 十三世紀の初め、チンギス・ハンが押し寄せた時、人々はここに立て籠もったた。難攻
 不落のこの城の攻撃中、チンギス・ハンの孫モアトガンが戦死し、怒ったモンゴル軍は
 人海作戦でこの丘を埋めつくし、生命ある者はすべて殺残したという。この丘から少し
 離れた所にあるカラ・イ・ドクタール(娘の城)は、守将ジェラール・ウッディンの娘の邸跡
 だという。娘は不本意な結婚を勧める父を裏切って、チンギス・ハンに砦の地下の泉の
 秘密を教えたが、石投げの刑で殺されたといわれる。
 バーミヤンの西方約七十五キロにバンデ・アミール湖の秘境がある。ここには荒涼たる
 砂漠の中に五つの湖があり、光線の具合で美しい瑠璃色の七変化を見せる。


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1  いまも幽鬼漂うといわれるシャリゴルゴラの丘。ここの上から見るバーミヤンも絶景である。
2  カラ・イ・ドクタールには多くの農民が住み、観光客にコインなどを売りにくる。
3  バンデ・アミール五湖の湖水の美しさは旅人をはてしない幻想に誘う


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