ソ連トルキスタン


チムール大帝の都サマルカンド


  ソ連トルキスタンを初めて訪れたのは、昭和四十一年春のことだった。その時はトルコ
 のカルスから汽車でトビリシに入り、空路タシケントに飛んだ。その時、瑠璃色のタイルに 
 輝くサマルカンドの遺跡には、まったく感激させられた。ザラフシャン川の岸辺にあるサマ
 ルカンドは、この地方一帯の中心として古代からマラカンダの名で知られ、五〜八世紀に
 はソグド商人の活躍で東西交通随一の要衝だった。さらに十四〜五世紀のサマルカンド
 は、チムール大帝の都として比類ない繁栄を示し、多くのモニュメントが建造された。


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1   シャーヒ・ジンダ廟を参詣する遊牧民のウズベク女性。毛皮のコートに長靴をはき、
  刺繍したストールをかぶる。
2  アフラシアブの端にあるシャーヒ・ジンダ霊廟。チムール一族、とくに女性の墓廟が多い。
3  落ち着いた色調を示すチムール廟。地下にはチムールやウルグ・ベクの墓がある。
4  サマルカンド最大のビビー・ハーヌイム・モスク。チムールが愛妃のために建設したという.

 五〜八世紀頃栄えていたサマルカンドは、いま廃墟となっているアフラシアブにあった。
 そこにはウルグ・ベクの天文台の跡がある。チムールが建設したサマルカンドはその南方にあり、 
 中心はレギスタンであった。ここにはウルグ・ベク、ティリャ・カリ、シェルドルの三つのメドレッセが
 あり、かつては中央アジアにおける最大のイスラム大学であった。
 ここは長い間改修中であったが、最近ようやく完成し、華麗な美しさを示している。
 サマルカンドの東方約七十キロにヒャンジケントの適跡がある。ここは(1)城塞、(2)城郭都市、(3)
 外郭都市の三地域からなり、一九四六年以来の発掘で数々の貴重な遺品を出土した。
 ここからさらに東方へ六十キロほど遡った所にあるムグ山からは、ヒャンジケント城主ディワシュチ
 に関する多数のソグド語文書が出土した。


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1  サマルカンドのレギスタン広場にあるシェルドル・メドレッセ。内庭には五十四の学生用の個室がある。
2  ピャンジケントの廃壊。サラフシャン川に面した美しい遺跡である。



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