西陲の地カシュガル |
昭和五十七年八月、私はようやくカシュガルを訪れることができた。志を立ててから三十年、 |
1 | 十七世紀にカシュガル地方を支配したホージャ一族の廟。香妃廟ともいう |
2 | 香妃廟内にある香妃の墓。(右から二番目) |
3 | 香妃廟の境内に集まったウイグル族の子供たち |
4 | カシュガルの中心にあるエイティガール・モスク、、二の地方のイスラム信仰のメツカである。 |
エイティガール・モスクの周辺には、鍛冶屋、ブリキ屋、金具屋、木工屋、パン屋、香料屋、服屋、床屋、宝石屋、
など数多くの職人の店が並び、活気を呈している。昔ながらのハンドメードの店ばかりだ。
カシュガルは十九世紀以来、イギリスとロシアが領事館を置き、新疆でもっとも重要な町となったが、 ここはタリム盆地でもっとも早くイスラム化したためか、仏教遺跡なども乏しい。 まず市内には班超(はんちょう)が拠った疏勅城(カシュガル)の跡といわれる土塁があるが、わずか 高さ三メートル、長さ十五メートルほどしか残っておらず、あまりにもわびしい遺跡だ。もとは一辺八百 メートルあったが、清の乾隆帝によって破壊されたという。カシュガルの東三十五キロには、カラハン朝 の城北といわれるハンノイ遺跡があり、るいるいたる巨大な廃墟だが、もう一つとらえ所がない。 ただ土塁の跡がいたる所に広がっている。また市内から北方へ十八キロほど進むとチャクマック河があ り、その岸辺に三仙洞とよばれる洞窟がある。ここはこの地方唯一の仏跡だが、内部はかすかに壁画 の跡を残すのみである。 |
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