仏教熱の燃焼、雲崗石窟 |
雲崗(うんこう)石窟は山西省大同市の西方約十五キロにある。もと武周川が削りとった河岸の北崖を利用した もので、石窟はこの断崖に開鑿(かいさく)され、東西約一 キロにわたる。現存する洞窟は五十三洞で五万一 千余体の仏像が刻まれ、中国最大の石窟寺院の一つとなっている。 私がここを訪れたのは、昭和五三年四月のことで、日本 人観光団としては最初の訪問だった。私たちは初 めて見る雲崗の諸仏に感激し、早春の陽光を浴びて、あくことなく諸 窟をめぐり歩いたものだった。 この石窟はいまから約千五百年前、北魏中期に開鑿された。 『魏書』の釈老志によると、北魏の文成帝和平年間(四六〇〜四六五年)に沙門統曇曜(どんよう)が、いわゆる 曇曜五窟(いまの十六〜二十窟)を開鑿したという。その他の主要石窟も すべて孝文帝の太和十八年(四九四 年)における洛陽遷都以前に開鑿された。 わずか四十年足らずの間の、驚くべき仏教熱の燃焼であった。 |
1 | 力強く美しい二十窟の露座の大仏。ここには雲崗の全てが集約されている。 石窟が半分崩壊して露出したもの。高さ十五メートル。 |
2 | 力強い第二十窟大仏の尊容。 |
雲崗石窟の特色は、西域から敦煌までの石窟が、壁画と塑像を主としているのに対し、すべて の壁面をほとんど丸彫に近い浮彫りにした点にある。 そこに北魏拓跋族の烈しい宗教熱と、当時の華北の工芸家たちの巧みな芸術的感覚を知るこ とができる。これは単なる素材の問題でなく、一つの偉大な文化変容と見るべきであろう。 北魏の地理学者道元の『水経注』には、「石を鑿して山を開き、巌によりて構を結び、真容巨壮、 世法に希なる所、山堂水殿、烟寺相い望む」とあり、当時の盛んな情況をうかがうことができる。 私がここを再訪したのは昭和五十六年十一月だったが、石窟内は物凄く寒く、古代の僧侶たち の労苦を偲ばせるものがあった。 |
|