西端の砦、嘉峪関
嘉峪関
は明代の一三七二年、常勝将軍とよぱれた馬勝(ひょうしょう)将軍によって建設された。明代は
トルファンのウイグル族がしばしば敦煌・安西地方に来襲したため、明はここを西端の砦としたのである。
ここには一個大隊、二百人から三百人の兵士が常駐していた。城壁は二重になっていて、外壁は高さ十
メートル、下部の厚さは八メートルあり、東西二百五十六メートル、南北百六十メートルもある。内城の東
西に三層の城楼があり、そこへは内城の城壁に治って乗馬のまま駆け登れる馬道がついている。
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内壁に沿って城楼に登れる馬道。かつては斥候から帰った士官は、城内をくぐるとここを一気に駆け登り、
楼閣にいた将軍に敵情を報告したと思われる。
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内城の内部はすっかり荒れはてているが、国境警備の兵どもの夢の跡である。
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外城内にある小祠。城楼とともに当時の建築技術の優秀さを物語っている。
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西端の砦、嘉峪関
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