天然の要塞、交河故城 |
いまのトルファンの市街から西北へ十キほど行くと、突然、緑の峡谷が現れて、その中央に巨大な船のような丘 が突き立っている。 昭和五十四年八月、初めてここを訪れた時にしみじみ西域にきたなという実惑をもったのであった。 この地方は古くは車師前国とよばれたが、ここはその都城である交河故城(こうがこじょう)のである。この城は 文字通り二つの川に挟まれていて、長さ約一・六キロ、幅三百メート高さ三十メートルの段丘上にある。南端にある かつての城門から登っていくと、台地上は南半分に住居址が集まり、中央の大寺院から北方は、二、三の寺院址以 外なにもない荒野になっている。住居址の中をさまよっみると、カマドや井戸の跡があり、宮庁と監獄の跡も残ってい る。 交河城は五世紀末、麹(きく)氏高昌国が成立すと、交河郡が置かれ、高昌国の王子が代々ここを治めてきた。 のち唐が高昌国を滅ぼすと、ここにも交河県が置かれ、九世紀後半には、ウイグル人がここに住んだ。 現地名はヤールホトで、ヤールは崖岸、ホトは城の意である |
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