高昌故城から北進して、火焔山のムルトゥク川峡谷を六キロほどさかのぼると、断崖の中腹にベゼクリク干仏洞
がある。現在の窟数は五十七とも六十三ともいう。ベゼクリクとはウイグル語で「飾られた所、絵画のある所」の
意で、その名の通り、かつてその諸窟は華麗な壁画で飾られていたが、ル・コックやスタインによって大部分の壁
画は切り取られてしまった。
造営年代は麹氏高昌国から元代までといわれるが、その最盛期は五代〜北宋の頃である。
なかでも特徴的なのは誓願図で、仏陀がその前世で過去の仏に供養し、仏になろうと誓願したことを示す壁画だが、
これも大部分が切り取られ、わずかに一体を残すのみである。
わずかに残った天井画、干仏図なども無残に汚損されている。
アスターナは高昌故城の北一キロにあり、主として麹氏高昌国から唐にかけての漢人貴族たちの古墳で、四百余
ある。この地方は極度に乾燥しているので、泥俑(でいよう)、漆器、古文書、絹織物などがほとんどそのまま出上し、
東西文化の交流を示す貴重な資料となっている。
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