ニヤ遺址への旅 |
昭和五十五年五月九日、私はNHK日中共同取材班とともに、民豊県からニヤ遺址にむ |
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二日日に道に迷ったわれわれは、その夜、道案内人たちの努力でやっと目的地ニヤの仏塔址を探し あて、三目日の五月十二日昼頃、ようやく仏塔北に到着した。ニヤの遺跡はだいたいこの仏塔北を中 心に、南北十キロ、東西五キロほどの範囲に散在しているのである。 私たちは、N1,N2,N3,N4の四遺跡を取材することとなり、まずN2から撮影を開始した。 N2はいくつかの住居址からなる小集落だが、床面の露出した住居址が多く、それぞれの住居に若干の 上下差があり、一メートル前後の砂の堆積はあるにしても、もともとこの辺りの景槻はあまり著しい差は なかったのではあるまいかと思われた。 翌十三日は午前中にN3,N4午後N1を踏査した。N3は地方長官の邸宅跡と思われる遺跡だが、内部 には家具などの遺物が多数散乱していた。 ニヤにはまだ未発掘の適跡も多い。ニヤ遺址はもう一度、現代的な層位発掘法でじっくり再調査すべき たと思った。 |
1 | N3は地方長官の邸の跡といわれる広大な遺跡である。 |
2 | N1はスタインが初めてカローシュティー文書を発見した遺跡で、柱や壁の一部が残っている。 |
3 | ニヤ遺址のほぼ中央にある仏塔址。 宝探しの人々の手で無惨に破壊されている。 |
4 | N3のほぼ中央付近にある炉址。民豊ではいまもこのような炉を使っているという。 |