西域南道のオアシス、ホータンと民豊(ホータン)

 ホータンは西域南道の要衝で、いまも絨毯織りや絹工業が盛んである。町は白玉河と黒玉河に貫流され、 
 白玉河にはいまも玉探しがいて、年に数回玉の売買が行われている。ここにも数多くの遺跡かあるはずだが、
 ここの文物杓管理委員会はなかなか厳格で、マリカワチ以外一切の遺跡は見せず、しかも写真撮影はすべ
 て厳禁であった。
 ホータンの東方約三百二十キロに民豊(ニヤ)県がある。ここは有名なニヤ遺址への入り口の町で、のどかな
 農村である。町の住民はほとんどウイグル人で、羊とロバとトラクターが行きかう町であった。ここはもちろん
 ニヤ川の水を灌漑水路で引き、農耕を営む町である。ここにはスタイン隊に同行した人も現存し、いまでもス
 タインの思い出が語られている。
 表通りから一歩中に入ると、かつてニヤ遺址でもこのような生活が展開していたのではないかと思われるよう
 な人々の暮らしがある。


1  ホータンの絹工場。ここは、いまでも西域でもっとも絹織物の生 産が盛んだといわれる。
2  民豊県の裏通り。生垣、鶏、子供、砂塵、かつてのニヤもこの  ような光景だったろう。
3  民豊県の人々。左端の中年の婦人はこの地方独特の小さな   帽子を白布の上にのせている。
4  民豊のウイグル娘たちは美しい絹のワンピースを着て、髪は   弁髪である。
5  民豊の町の中に突然羊の一群がやってきた。付近で放牧して  いるのか、毎日何回もこうした羊の群れが通る。

遥かなる西域

仏教熱の燃焼雲岡石窟 静謐な微笑をたたえる竜門石窟 栄華をきわめた古都、長安
シルクロードの関門、蘭州 黄河に影映す炳霊寺石窟 河西回廊の要衝、酒泉
西端の砦、嘉峪関 花ひらく敦煌 盆地の中のオアシス、トルファン
漢人が開拓した高昌故城 ベゼクリク千仏洞とアスターナ 天然の要塞、交河故城
ウルムチから天山へ 天山の遊牧の民、カザフ族 西域南道のオアシス、ホータンと民豊(ニヤ)
ニヤ遺址への旅 西陲の地カシュガル
中央アジアから地中海へ
南海の仏の道