西域南道のオアシス、ホータンと民豊(ホータン) |
ホータンは西域南道の要衝で、いまも絨毯織りや絹工業が盛んである。町は白玉河と黒玉河に貫流され、 白玉河にはいまも玉探しがいて、年に数回玉の売買が行われている。ここにも数多くの遺跡かあるはずだが、 ここの文物杓管理委員会はなかなか厳格で、マリカワチ以外一切の遺跡は見せず、しかも写真撮影はすべ て厳禁であった。 ホータンの東方約三百二十キロに民豊(ニヤ)県がある。ここは有名なニヤ遺址への入り口の町で、のどかな 農村である。町の住民はほとんどウイグル人で、羊とロバとトラクターが行きかう町であった。ここはもちろん ニヤ川の水を灌漑水路で引き、農耕を営む町である。ここにはスタイン隊に同行した人も現存し、いまでもス タインの思い出が語られている。 表通りから一歩中に入ると、かつてニヤ遺址でもこのような生活が展開していたのではないかと思われるよう な人々の暮らしがある。 |
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