黄河に影映す炳霊寺石窟

 劉家峡ダムから船で二時間ほどさかのぼると両岸には物凄い奇岩怪石が次々に現れる。右に左に感嘆の声をあ
 げているうちに、炳霊寺(へいれいじ)に着く。この辺りはかつて青海・西寧経由のシルクロードの一支線が黄河を
 渡る所だったが、現在、その渡河点はダムのため水中に没している。いま炳霊寺へは夏と秋の増水期のみ船で
 行くことができる。
 炳霊寺は古く唐代には竜興寺、宋代には霊厳寺とよばれた。ここには四世紀以降十九世紀まで、石窟と仏龕をあ
 わせて百八十、二窟が掘られ、内部には石仏六百九十四体、塑像八十二体があるという。大仏上部の百六十九
 窟には西泰(せいしん)の建弘五年(四二四年)の墨書銘があり、敦煌(三六六年)―炳霊寺(四二四年)―雲崗(四
 六〇年)と各石窟の創建年代を並べてみると、炳霊寺の重要性がよく分かる。
 ここの石窟における文化変容が、その後の雲崗にはじまる一連の石窟美術に甚大な影響を与えたに違いないか
 らである。
 但しこの百六十九窟は、昭和五十五年には参観できたが、五十七年は参観禁止となっていた。

  


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2
1  船が柄霊寺に近づくと、両岸に凄絶な岩崖が現れる。
2  岩壁を掘りこんでつくった大仏は如来の倚像で初唐の作、上半身は石彫だが下半身は泥塑で風化のため欠損している
遥かなる西域

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