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昭和38年4月〜11月 |
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東海大学西部ネバール学術調査隊隊長としてネバール西部各地を調査、奥地のジユムラに長期滞在し、 |
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同行者 |
河内豊秀、星野紀夫 |
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昭和41年1月〜6月 |
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シルクロード踏査隊副隊長として、ドイツからギリシアを経て、トルコ、レバノン、ソ連トルキスタン、 |
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同行者 |
(隊長)深田久弥(隊員)藤原一晃、鈴木重彦 |
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(朝日新聞社)高木正幸、関沢保治、吉川尚郎 |
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昭和47年11月〜48年4月 |
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ビルマ学術調査隊副隊長としてビルマ学術調査に参加、帰途東南アジア各地(タイ、マレーシア、シンガポール、 |
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同行者 |
:(隊長)荻原弘明鹿児島大学教授(隊員)5名 |
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昭和42年7月〜49年8月 |
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鹿児島短期大学付属南日本文化研究所長として、毎年夏休みに短大教員及び研究者と、奄美群島及び沖縄の |
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同行者 |
三木靖、増田勝機、山田興嗣、大野照好、他 |
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昭和50年4月〜58年8月 |
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鹿児島短期大学南日本文化研究所顧問となり、毎年夏の奄美群島調査団に顧問として同行 |
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昭和51年6月 |
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国立民族学博物館研究協力者となる。以後現在まで継続。 |
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昭和51年8月1日〜16日 |
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メキシコで開催された第三〇回アジア・北アフリカ人文会議に出席・発表。帰途メキシコ各地の遺跡を視察。 |
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昭和51年8月19日〜21日 |
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アメリカ合衆国マディスン市のウィスコンシン大学における国際仏教史会議に出席・発表 |
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昭和51年8月25日〜9月25日 |
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イラン、アフガニスタン調査旅行。帰途アフガニスタン東南部のヌリスタンを踏査。 |
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同行者 |
藤原一晃、古賀登夫妻 |
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昭和53年3月29日〜4月19日 |
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中国旅行が一般に開放され、初めて中国を訪間。東洋・駒沢・早稲田大学友好訪中団副団長と |
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同行者 |
桜井団長、松本秘書長、山本弘道、松平喜美江、永井恭子、他 |
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昭和53年7月〜8月 |
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トルコ、イラン、アフガニスタン、パキスタン各地の史跡を周遊。 |
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同行者 |
人見楠郎先生、他二〇名(全私学新聞企画) |
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昭和54年8月9日〜22日 |
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新疆が開放され、考古学家友好訪中団副団長として、北京、ウルムチ、トルファンを視察。 |
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同行者 |
:(団長)桜井清彦教授、他二〇名(新日本国際旅行杜) |
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昭和55年3月14日〜21日 |
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ソ連トルキスタン視察。(タシケント、サマルカンド、ブラハ、ヒワ) |
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昭和55年3月24日〜4月15日 |
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インド・スリランカ仏教遺址視察・八大仏跡、カナウジ、アグラ、サンチー、アマラバティー、 |
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同行者 |
野崎至亮 他 |
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昭和55年4月30日〜5月28日 |
NHK日中共同取材班に同行。中国新疆ウイグル自治区、ホータン、ニヤ遺址視察。民豊からラクダに |
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同行者 |
井上靖、平尾浩一、田川純三、和崎信哉、他 |
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昭和55年9月5日〜9月19日 |
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敦煌文物研究私学代表友好訪中団の指導講師として、鞏県、洛陽、西安、蘭州、敦煌など、各地の |
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同行者 |
人見楠郎先生、他二〇名(全私学新聞主催) |
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昭和55年12月2日〜24日 |
早稲田大学エジプト考古調査隊に参加。カイロ、フスタートで発掘調査、帰途ギザ、ルクソール、アレキサン |
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同行者 |
桜井清彦、吉村作治、近藤二郎、他 |
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昭和55年12月29日〜昭和56年1月9日 |
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朝日歴史・.移動教室の指導講師として、冬のウルムチ、トルファンを見学。 |
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昭和56年3月27日〜4月1日 |
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早稲田大学東洋史研究室一同で韓国旅行。ソウル、扶余、慶州を一巡。 |
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同行者 |
古賀登、福井重雅、他 |
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昭和56年11月21日〜24日 |
朝日歴史・移動教室の指導講師として、中国雲崗からバキスタンのカラチ、インドのアジャンター、エローラ、 |
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昭和57年4月2日〜5日 |
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韓国史跡調査。(ソウル、扶余、慶州、釜山) |
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同行者 |
江坂輝弥慶応義塾大学教授(リョービ・ツアーズ) |
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昭和57年8月6日〜28日 |
シルクロード友好訪中団及びシルクロード学術訪中団に同行。 |
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(前半)中国の北京、蘭州、敦煌、トルファン、ウルムチ、石河子を一巡。 |
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(後半)初めてウルムチからカシュガルヘ旅行。 |
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同行者 |
:(団長)人見楠郎昭和女子大学理事長、(団員)二宮、山本、松平、他 |
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(前半:リョービ。ツアーズ)(後半:日中平和観光) |
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昭和58年3月18日〜4月1日 |
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朝日歴史・移動教室の指導講師として、チュニジア、モロッコ、スペインのイス |
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昭和58年4月〜10月 |
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北京大学交換教授として半年間北京に在住。その間しばしば中国国内を旅行。 |
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昭和58年6月28日〜7月16日 |
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天山北路ポニー・キャラバン隊に同行し、ウルムチ南山から馬で天山を越え、ト |
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同行者 |
大野重男氏、他(ハーモニー・センター主催) |
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昭和58年9月11日〜9月27日 |
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クチャ旅行を目指し、ウルムチの王炳華氏の所へ行くが成功せず。敦煌を調査し、 |
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昭和59年3月23日〜4月6日 |
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朝日歴史・移動教室の指導講師として、パリ(ルーブル、ギメ博物館)、ベルリン |
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昭和59年5月25日〜6月6日 |
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初めてキジル千仏洞を参観。北京→ウルムチ→アクス→クチャ→拝城→カシュガル |
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同行者:井上夫人、他(日中経済協会、JTB) |
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昭和59年7月30日〜8月9日 |
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ガンダーラ、スワットの仏教遺跡の踏査。 |
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同行者 |
長澤瑞、熊澤、七海、太田、辻、金子、吉原、他(リョービ・ツアーズ) |
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昭和59年8月22日〜8月27日 |
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ウルムチ、ホータン、カシュガル、クチャ、トルファンを見学。(日通旅行) |
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昭和60年21月26日〜61年1月9日 |
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初めて真冬の新疆一周。雪のホータンからカシュガルを経てアクス→クチャ→コルラ |
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同行者 |
高橋、長澤瑞、熊澤、七海、黒瀬(リョービ・ツアーズ) |
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昭和61年3月24日〜4月5日 |
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朝日歴史・移動教室の指導講師として、ヨルダン、シリア、イスラエル各地の遺跡踏査。 |
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昭和61年7月28日〜8月10日 |
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池袋西武コミュニティーのグルーブと、初めてバミール越えの旅。イスラマバード |
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昭和62年3月20日〜4月5日 |
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シリア、トルコ各地の遺跡踏査。ダマスカス→パルミラ→アレッポ→ギョレメ→ |
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同行者 |
日下、八巻、佐久問、今村、他(JTB) |
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昭和62年4月25日〜5月1日 |
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朝目歴史・移動教室の指導講師として、中国各地の石窟の旅。北京→雲崗→天竜山 |
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昭和62年7月31日〜8月10日 |
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新疆各地の遺跡調査。トルファン→コルラ→クチャ→アクス→カシュガル→ホータ |
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昭和62年8月28日〜8月28日 |
朝日歴史・移動教室の指導講師として聖書の旅。エジプト→スエズ→シナイ山→イ |
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38 |
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昭和62年11月23日〜12月5日 |
宋代史研究グループと、泉州の市舶司設置八百年記念学会に出席。香港→厦度門→ |
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同行者 |
梅原郁、近藤一成、他 |
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昭和63年3月26日〜4月6日 |
朝日歴史・移動教室の指導講師としてヨーロッパ各国の博物館を見学。バリ→ベル |
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40 |
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昭和63年7月28日〜8月11日 |
初めて中ソ国境を越え天山北路を踏査。新潟→ハバロフスク→アシハバード→メル |
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41 |
昭和63年9月15日〜10月22日 |
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朝日新聞・テレビ朝日共催の日中共同楼蘭探検隊顧問として、楼蘭、米蘭(ミーラン) |
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同行者 |
(隊長)轡田隆史、椎名誠、田川一郎、他(中国側隊長)楊志強 |
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昭和63年10月24日〜10月28日 |
ユネスコ主催「シルクロード・シンポジウム」組織委員として、第一セッション |
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(大阪・民族学博物館主催) |
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昭和63年12月12日〜17日 |
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韓国史跡踏査。ソウル国立博物館で講演。扶余、慶州一巡。 |
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同行者 |
閾燗勲、森本康治、他 |
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平成2年8月1日〜8月14日 |
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朝目歴史.移動教室の指導講師として、イラク、トルコ旅行。イラクがクェート侵攻 |
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平成2年10月11日〜10月21日 |
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NHK通信教育指導講師として、中国の敦煌に旅行。莫高窟、西千仏洞を見学。 |
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平成3年7月15日〜8月25日 |
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第1回日中共同新疆シルクロード学術調査。 |
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同行者 |
桜井清彦、大橋一章、荒川正晴、小沢正人 |
(中国側)夏訓誠、王炳華、閻国学、劉文鎮、(運転手)衰忠昌、陳国棟 |
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平成3年8月26日〜9月5日 |
前記の調査後、朝日歴史.移動教室の指導講師として北京にて合流し、カラコルム・ |
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パキスタンからクンジュラブ峠を経て、カシュガル、ウルムチを一巡。 |
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平成3年10月15日〜11月5日 |
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日中共同ニヤ遺址予備調査に参加。 |
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同行者 |
(隊長)井ノロ泰淳、真田康道、(中国側)王炳華、于志勇、他 |
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平成4年3月27日〜4月8日 |
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カザフ、キルギス両共和国視察。モスクワ→アルマータ→フルンゼ(ビシュケク) |
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同行者 |
田島信義 |
50 |
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平成4年7月26日〜8月23日 |
第二回日中共同新疆シルクロード学術調査。(文部省国際学術研究費)ジュンガリヤ、 |
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同行者 |
桜井清彦、大橋一章、荒川正晴 |
(中国側) 王炳華、李肖、張樹春、他(通訳)カマリデン |
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51 |
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平成4年9月7目〜21日 |
蘭州シルクロード国際学会にゲストとして招時される。研究発表会に司会として |
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52 |
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平成5年7月21日〜8月19日 |
策3回日中共同新疆シルクロード学術調査。南彊からバミール高原へ。 |
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ウルムチ→勝利峠→輪台→クチャ→ウチトルファン→アクス→カシュガル→タシク |
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同行者 |
桜井清彦、大橋一章、荒川正晴(中国側) 王炳華、李肖 |
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平成5年8月20日〜9月2日 |
上記の調査後ウルムチで松原隊に合流。ホータン→ラワク仏塔→ケリヤ→民豊→エ |
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西域南道を一巡し、アルチン山脈経由で敦煌に向かう予定であったが、山賊に脅か |
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同行者 |
松原哲明父子、角田昌夫、他(日中平和観光) |
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平成6年3月24日〜4月3日 |
主にエクステンション受講生と、新疆石窟の旅。トルファン、クチャ各地の石窟を |
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55 |
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平成6年5月21日〜5月24日 |
シリア、ヨルダンの旅。イスタンブール→アソマソ→ペトラ→ダマスカス→アレッ |
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同行者 |
宮英子、日野原典子、他(新和ツーリスト) |
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平成6年11月14日〜25日 |
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ウズベク共和国のフェルガーナ→サマルカンド→テルメズを周遊。 |
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57 |
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平成6年12月10日〜平成7年1月10日 |
第1回トルファン交河故域溝西墓発掘調査。(文部省国際学術研究費による)。 |
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同行者 |
桜井、岡内三真、大橋、甚ハ川、昆彰生、小沢正人、田中保士 |
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平成7年8月28日〜9月14日 |
キルギス共和国(イシク・クル湖一周、ベダル峠、他)から、トルガット峠を越えて |
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同行者 |
一二名 |
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平成7年12月10日〜30日 |
第2回トルファン交河故城溝西墓発掘調査。 |
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同行者 |
桜井・岡内・大橋・荒川、杉本良、井上豪、本間寛之、福島綾子、杉崎広子 |
60 |
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平成8年3月10日〜3月24日 |
平成7年度・トルファン交河故籍西墓発掘補足調査。 |
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同行者 |
岡内、井上、福島、杉崎 |
61 |
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平成8年8月22日〜9月20日 |
第三回トルファン交河故城溝西墓発掘調査。苦節三年、ついに黄金の王冠、黄金の |
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同行者 |
岡内、大橋、荒川、井上、後藤健、杉崎 |
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平成9年1月19九日〜28日 |
ウルムチの新疆文物考古研究所にて第三回トルファン交河故城溝西墓発掘調査の学 |
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同行者 |
桜井、岡内、後藤、杉崎 |